未完備忘録:岡田尊司『インターネット・ゲーム依存症:ネトゲからスマホまで』

(2020年5月13日更新)

下記書籍に関する備忘録、未完。

岡田尊司『インターネット・ゲーム依存症:ネトゲからスマホまで』文藝春秋 2014年 (Amazon

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全体的な印象

危険性と対策

著者の記述は大きく分けて、(1)これらの依存症の危険性、(2)依存症対策の方針である、と言えるだろう。

このうち、(1)依存症の危険性については、相関と因果の取り違えが生じかねない記述があるなどの、惜しい点が感じられる。

また、(2)依存症対策の方針として、社会全体としてのマクロなものと、個々のケースで周囲の人々が実行するミクロなものが示されていると思われる。このうち、マクロな社会全体の取り組みとしては、規制の強化を主張しているようである。他方で、ミクロに、依存症患者の周囲の人間の方針としては、決して「処罰」を主張するのではなく、むしろ患者にとっての「安全基地」が存在すべきことを説く。

これらは矛盾していないまでも、緊張関係をはらんでいる。そこで、このマクロな対処とミクロな対処の関係を、明示的に述べてもらいたかった。

煽り?

著者がたびたび以下のように警鐘を鳴らす。すなわち、「インターネット・ゲーム依存などについては、科学的知見が十分ではないかもしれないが、知見が揃ってから対応していたのでは手遅れになりかねない」という警鐘の鳴らし方による。

著者の思いはわからなくはないが、筆者は自分が予想するような「科学的知見」が将来揃うはずだ、と思い込んでいるふしがありそうである。そうでなかった場合、社会全体での規制強化という公共政策の責任を、著者はとってはくれないだろう。他方でもし個々人のミクロなレベルでの、依存症の予防・克服に焦点を当てるなら、依存症一般の傾向として、まさに「安全基地」の役割をする周囲の人間が重要である、ということに異論をはさみがたいため、これは筆者の言う「科学的知見が不十分」であっても特段の問題がないように思われる。

要するに、「科学的知見が揃ってから対応していたのでは手遅れになりかねない」という警鐘の鳴らし方は、あまり意味のない「煽り」であるようにも感じられる。

引用文献リストについて

主要引用文献リストが付されているが、ここにない文献が、本文で何度も引用されていたりするので、改善の余地が大きいと思われる。

以下、個別ページの記述のメモ。

pp.190-192

中国には、インターネット依存症患者を治療するためのキャンプがつくられている。そこでは、軍隊のような訓練を行ない、また、入所当初には孤独な部屋で過ごさせるなどの方法がとられる。
こうした方法には、もちろん賛否両論ある。
「その方法の是非はともかく、全体でみると、効果を認めているようだ。」
→この根拠が何かわからない。この方策は、のちに著者が推奨する「安全基地をつくる」という方策とは真逆である要素があるので、両者の関係を慎重に検討してほしい。

pp.194-195

タバコの害が社会に周知されて喫煙率が下がったことを引き合いに、デジタルデバイス依存の害も周知されるべきだという主張をしている。
以下引用:

依存性の物質や行為に対しては、 社会がどれだけ認識や警戒心をもつかということが、免疫として作用する。社会が危険への認識を共有し、確たる免疫を獲得してしまうと、喫煙者だった人も禁煙する人が増え、何よりタバコを喫う未成年者の数は激減した。

喫煙する父親は、子どもや家族が煙を喫わないように家の外で喫わされるのが普通で、そんなふうに喫煙者が蔑まれ、冷遇されるありさまを見て育った子どもたちは、自分が喫煙しようとは思わない。


直感的には述べたいことを理解できる気がするが、次の点でひっかかる。
まず、「喫煙者が蔑まれるのを見た子どもたちは喫煙しようとしない」という点に実証的根拠があるのかを知りたい。
また、ここで著者は、「タバコ/デジタルデバイス依存に害がある」という事実が周知されることを超えて、「そうした行為が蔑まれる」べきだと示唆しているように見える。しかし、のちに筆者は「安全基地」を作り出す方策を主張する。これらの主張の間の関係が明確ではないと思われる。

(未完)